~こんな思いで「エブリチャンス」を創りました~

私は、子供の頃、音楽は身近な存在である一方、美術については、近くて遠い存在でした。高度成長期、サラリーマン家庭でも子供に習い事をさせることがトレンドになり出した時代、親も経済的に大変だったでしょうが、そんな中、4歳からピアノを始め、小学校低学年の頃、絵画、習字、そろばんの掛け持ちの毎日でした。結局、ピアノだけが中学卒業まで続き、その後はお決まりのパターンで、大学ではバンドを組んではしゃぎ、仕送りもほとんどなかったので、ピアノ弾きのバイトに明け暮れる毎日。そして就職は、芸術とは全く無縁の、むしろ真逆の金融機関に入って、いやはや結局35年間、マネーゲームにどっぷりつかる仕事に明け暮れ、あっという間に人生の大半が過ぎ、令和になって会社生活を卒業し今を迎えています。

私が絵画と出会ったのは小学1年生のとき。絵画教室に通っていたときのことですが、「家族でお風呂に入っている絵を描きましょう」というテーマがあり、裸の姿は何とか色鉛筆で塗ったものの、どうしてもオヘソが恥ずかしくて描けず、先生に怪訝な顔をされたことを後になって母親に聞きました。やはり私には才能がなかったのでしょう。

40歳を超えてからの話。箱根のある老舗旅館の読書スペースの壁に掛かっていた、ある幼い少女の絵に、何故か魂が吸い込まれるような感覚を覚えました。当時、その絵を眺めているうちにどうしても手に入れたくなって、旅館に頼み込んだのですが、お知り合いのおばあさんが、孫を慕って描いた絵だったらしく、想い出の作品なので人手に渡すのは難しいと言われ、翌朝、名残惜しく旅館を後にしました。ところが、1か月程経ったときに、若旦那より手紙が来て、あの作品は難しいが、同じおばあさんが描いた孫の絵がいくつかあるのでと、わざわざ自宅に送ってくださいました。嬉しかった!おばあさんは、その後しばらくして他界されたと、次に旅館を訪ずれたときに聞きました。おばあさん、若旦那、本当にありがとうございました。今も自分の書斎に飾っており、観るたびに感謝の念でいっぱいです。

 

もう1つは、父が生前描いていた水彩画と油絵です。定年後の趣味として、自分の部屋で密かに描いていたようです。父が逝った後、母が家の至るところに父親の絵を飾り始めたこと、また、私が実家に帰る度に絵の配置が変わっていたことを思い出します。昨年、その母も亡くなり、ついに実家を引き払うことになりましたが、遺品として改めて父親のたくさんの作品を床に並べたとき、「親父と母の個展」を観るようでした。

 

一方、息子の私はというと、父親のDNAは全く引継いでいないようで、趣味のダイビングの後に、水中で発見した珍しい魚や珊瑚を三色ペンで落書きすることぐらいしかできないレベルです。

でも、そんな私でさえ、最近、絵を観て、心も体も吸い込まれるような瞬間におそわれるときがあります。額縁の中にいる自分を感じたり、心の音が聴こえたり。自分が人物画の被写体そのものになって怒ったり笑ったりも。静画は動かず平べったいものですが、立体的というかリアルな空気に包まれることがあります。

絵にはいろいろな楽しみ方がありますね。どのように楽しんでも自由だと思うようになりました。有名な誰かが描いたからとか、誰かが推薦しているからとか、そんなことより、とにかく自分の魂にささる絵と出逢いたいなと思います。ちなみに、私の造語になりますが、その基本観を「MON ART(モナール)」(英語:MY ART)と勝手に呼んでいます。外部評価等の影響を一切排除し、誰でもそれぞれの感性に刺さる作品が自分にとっての最高の芸術であるという考え方です。自分にとって最高のアーティストが世の中にもっと登場してくればいいのになあと思っています。

さて、弊社を設立した背景を申し上げると・・・

美術館や画廊に足を運ぶヒト、自宅に小さい額の絵でもいいので1枚でも飾っているヒト、日本においてその割合は欧米と比較してはるかに少ないようです。

「身近に気軽に純粋に、芸術を実感できる場所や空間が少ない」「アートの楽しみ方自体がわからない」「好きな作品と出逢いたいが、画廊は高額で敷居が高い」という方々が多いと思います。芸術分野で隠れた才能ある逸材を発掘し育てていこうというマインドや、バックアップする環境整備が遅れているからかもしれません。

また、プロのアーティストを目指す芸術活動家の方々にとっても切実な悩みがありますよね。

「作品を披露する機会が少ない、自分の才能を確認できる場がない」「正直にきめ細かく感想を言ってくれる相手がいない」「技法を磨きたいけど、自由で気軽に交流できる場所や機会がない」「プロになりたいが、方法がわからない、きっかけがつかめない」「プロへの道のりが遠く感じる、そこまで頑張れる気持ちが続かない」「作品をおカネにつなげたいが、上手くいかない。続けていても生活ができない」

目に見えないしがらみというか登竜門的な厚い壁があって・・・そんな感じでしょうか。

アートだからこそ、描く側も観る側ももっと開かれた世界で、みんなで盛り立てていけないだろうか?そんな素朴な気持ちが引き金になって、「エブリチャンス」(EVERY CHANCE for Everyone)という会社を立ち上げました。

2020年に会社を立ち上げてから、様々なアーティストの方々あるいはアート業界関係者の方々とお付き合いする機会が増えて、新鮮な刺激を受けながらいろいろ経験を積ませて頂きましたが、深い部分を知れば知るほど、当初の志は間違っていなかったと確信を持てるようになりました。

そして今後、更に追求すべきことは、「人間に寄り添って、人間の本質に言及したサービスを考える会社」にすることだと思っています。

とりわけ今の時代、人間個人、その集合体である組織、ひいては世の中全体が「幸せ観」を持って生き抜いていけるために何ができるか、真剣に考えていきたいと思っています。こんな時代だからこそ、誰しもが違和感なく自然に受け入れてもらえる質問だと思いますが、「人間の幸せとは?」・・・

おカネで実現できること、もちろん幸せなことも多いでしょう。しかし、おカネと関係なく、人間が本当に幸せになれること、最後に救われることって何でしょうか?今の私が本音で思っていることは3つです。

  1. 自分の存在を認識してくれる誰か、伝え合える相手がいること
  2. 自分自身の中に、ちょっとしたことでも感動できる感性を持ち合わせていること
  3. 自分以外を思いやれる素朴な本能が少しでも残っていること

人生哲学をここで語るつもりはありませんが、これは、アートにも同じ要素があるような気がしています。

アーティストにとって・・・

  1. 活動継続していく物理的、精神的インセンティブとして最も重要
  2. 芸術家は当り前に持っている
  3. 自分の思いが外部に刺さるために必須

フォロワー(鑑賞者)にとって・・・

  1. 感動を伝える相手はいればもちろん素直に楽しいが、相手がいなくても孤独でも、アートと会話することで救われることもある。
  2. フォロワーもアートを鑑賞している瞬間は芸術家である。
  3. 作品とともに、アーティストの思いに興味を持つと、アートは100倍楽しくなる。

アートは人間の本質的な幸せを追求する意味で、実は最も適している領域かもしれません。

弊社は、今までにないコンセプトとコンテンツによって、作る側にとっても観る側にとっても素直に楽しい、いわば「アーティスト・フォロワー・スポンサーみんなで芸術を盛り上げるプラットフォーム」を構築していくことを目指しています。
これからも、より多くの方々にこの思いにご賛同頂くよう、頑張ってまいりますので、何卒よろしくお願い申し上げます。

エブリチャンス 代表
川添 隆司

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